あるオーディオショウへ赴きました。フロアの廊下で忙しくすれ違うスーツの方が会釈し、こちらも一礼。ブースへ入るとスピーカーからクラシック音楽が朗々と鳴っていました。担当者以外に誰もいない椅子に着座すると、担当者が流れている楽曲名を伝え、音源は持参したか、何かリクエストはあるかと尋ねました。今のままで結構だと答えると担当者は頷き、一緒にサウンドを聞き入ります。
しばらくして楽曲が終わる頃、普段はどんな音楽を聞くのかと担当者は尋ねました。クラシック、ジャズ、ポップスの順に答えると、次はジャズ音源をセレクト。サウンドが流れるとまた二人で聞き入ります。途中でアンプを覗き込むと、ボリュームを少し落としアンプの説明が入る。次の予定もあり楽曲の間に来訪者が入室したタイミングで部屋を出ました。担当者と互いに目配せ、ありがとうと一言を添えて。
別のフロアの廊下を通るとメーカー代理店関係者が離れていても聞こえるくらいの声量で話し込んでいました。ブースへ入ると担当者以外は誰もおらず椅子に着座します。流れている楽曲を1分程聞いて機器について伺おうと思った時には担当者は部屋にいませんでした。しばらく椅子に座って聞いていましたが、戻ってくる気配がない。仕方がないので部屋を後にします。ふと気がづくと廊下で話し込む関係者の声が部屋の中まで聞こえていました。
顧客対応はヒューマンファクターですので当然違いは生じます。ただ筆者はカスタマーサービスのクオリティ、とりわけ前者の配慮の行き届いたホスピタリティある対応に好感を抱きました。ではなぜ、ほぼ同じ状況で差が生じたのでしょうか。
ショウは英語でExhibition、つまり展示会。その理念目的は、一般的には”顧客創出””既存顧客との持続的な関係性の構築”が主軸です。内容はプロモーション。何をプロモーションするのか。この場合、音響(および音楽)です。構成は主催者、展示者、参加者。参加者とは業界関係者とエンドユーザーです。オーディオショウは目的・内容・対象・時期で分かれていますが、先述のショウは”既存顧客との持続的な関係性の構築”の比重が高い場であると認識しました。
翻って前者は、既存顧客との関係を重視する運営の場においても新規顧客が満足する体験を提供しました。少なくとも見込み顧客である筆者との関係構築に成功しています。一方後者は、顧客対応がおざなりで見込み顧客である筆者との関係構築に失敗しています。実際のショウの理念目的が”顧客創出”と”既存顧客との持続的な関係性の構築”なのかは定かではありませんが、そのことを抜きにしても、どちらがエンドユーザーと相互満足の関係にあるのかは明らかです。
しかし理念目的は通常見えませんので、エンドユーザーは無関心かつより良いプロモーションを求め、展示者はセッティングに腐心した自社のデモンストレーションへの評価に注力し、それがセールスというリターンにつながればと考えることもできます。さあ顧客と展示者の利益が一致しました。相互満足の関係です。・・・という認識で充足する展示者がいたならば、それがカスタマーサービスの質として前者と後者で差が出たのではないかということです。
筆者は以前「
コラム End Of The Audio -ジャーナリズムとモラル」で趣味のオーディオにも”モノ”だけでなく”コト”が求められていると愚考いたしました。ここで”コト”とは顧客対応でありプロモーションですが、プロモーションはセールス以外に顧客とのコミュニケーションという性質があります。つまり理念と内容のどちらにも顧客との関係構築は必要です。そこでケースバイケースの応対が必要な場において、後者はそれ以前の課題を抱えていたと言わざるを得ません。
すなわち、人で溢れ返る空間ならまだしも余裕のある状況で、目の前の顧客に対し会釈さえできない対応はショウ全体の根本的な質に関わる問題と捉えたのは筆者だけでしょうか。ショウはフロントエンドのサービスという意識があったのでしょうか。現場教育はそんなに難しいことなのでしょうか。馴れ合いになってはいなかったのでしょうか。ショウの有料化の是非の議論がありますが、誰のためのショウなのでしょうか。エンドユーザー・ファーストの視点なのでしょうか。
折しもいま、世界のミュージックエコシステムは変革期に入っています。
IFPIと
RIAJの統計では、有料ストリーミングはそれぞれ32.9%と10%の増収、急速にシェアを拡大し、LPからCDへの変化より早いとされています。10年前に立ち上がったサービスプロバイダのアクティブユーザー数が2億人、有料会員数が1億人を超えました。このことはサブスクが人口1億人の国内市場だけでは成立し得ないビジネスモデルである可能性を示唆しています。またバリューギャップ(*1)や黒字安定経営への課題は残り、サブスクの先行きは未知数です。
RIAJ、RIAA、BVMIの統計より独自に集計
上図は
RIAJ、
RIAA、
BVMIによる2018年度の各国内音楽収入の統計におけるシェアです。統計区分に違いはありますが、CDとサブスクのシェアが大きく異なることがわかります。この数字から、現段階では国内はサブスクの普及が遅れていると見ることができますが、ドイツも併せ見れば音楽文化の地域性が市場に現れていると見ることもできます。もう少し時間が経たなければ先行きはわかりません。それだけでなく”音楽聴取手段”と”音楽聴取方法”も変わってきています。
RIAJの詳細な分析(
音楽メディアユーザー実態調査 2018年度)では、”主な音楽聴取手段”としてYouTube、音楽CD、テレビ、音楽CDからコピーした楽曲ファイル(MP3等)が複数回答で3割超、AM・FMラジオが2割、音楽DVD、Blu-ray Discとダウンロード型音楽配信が2割弱、単独のアーティストによるコンサート、ライブ等の生演奏とカラオケBOX・カラオケ教室が1割半、定額音楽配信と無料ダウンロードした楽曲が1割超。おそらく今後は定額音楽配信が伸びることが予想されます。
次にレコチョク×MMD研究所の合同調査(
音楽とゲーム機に関する調査)では、15歳~59歳の男女1,704人と小中学生151人を対象にした”音楽聴取時に使用しているデバイス(複数回答)”として、スマートフォン 53%、パソコン 40%、カーステレオ 19.8%、DVD/ブルーレイプレーヤー 14.8%、コンポ・ラジカセなど 16%、家庭用ゲーム機/ポータブルゲーム機 20%、タブレット端末 14%です。スマートフォン、パソコンが多く利用され、従来からのコンポ・ラジカセが16%という数字。
さらに
IHSマークイットの調査では、各国のインターネットユーザーの13%以上がスマートスピーカーへアクセスしていました。内訳はオーストラリア 10.7% 、ブラジル 5.7%、カナダ 12.2%、ドイツ 12.7% 、インド 20.9% 、日本 5.6% 、イギリス 18.3% 、アメリカ 20.7%です。その中で27%が”サービスとデバイスの統合”、25%が”Q&A”、24%が”音質”が重要とし、音質重視派はJBL Link、Panasonic、Sony、その他、伝統的なブランドを選ぶ傾向にあるとしています。
これら統計からリスニングに関して、サブスクやスマホというニューカマーのサービスやデバイスが登場し、大きな潮流になりつつあることは誰もが理解しうることです。しかし未来はスマホでサブスクなのかといえば、そう単純ではない予測もできるはずです。国別音楽収入シェアにおける地域性や音楽聴取手段・手法における複数回答からは、エンドユーザーのリスニングスタイルに関して、複数の音楽プラットフォームを利用する”多様性”が垣間見え、音楽リスニング環境はより”複雑化”しているようにも見えます。
思えば10年余前、ネットワークを介したデジタルストリームがオーディオ企業から提案されてきました。やがてここ数年でP2Pによるコネクタビリティ、音声アシスタントによる操作性補完、そしてAIによる学習機能向上などBluetoothスピーカーと人をより密接に繋げるイノベーションがハイテク企業から生じ、ガジェット系メディアのキュレーションによりネットワークを介して音楽を聞くスタイルが瞬く間にグローバル規模で認知されつつあります。と同時に、音楽と人とを結ぶ関係も修復されつつある状況です。
オーディオ分野はより高い性能と音質を追求し、それが命題でもあります。そのことを否定するつもりはありません。あるハイテク企業のスマートスピーカーはオーディオ企業出身者が関与し、その性能はオーディオ分野のテクノロジーやノウハウなどの”専門性”に支えられています。あるいは”専門性”はプレミアムなオーディオ製品に投入され、ローテクと言えども1ビット1デシベルの性能向上のために製品改良なされています。筆者はそのたゆまぬ姿勢をリスペクトしています。
かつて、当ブログで”ゼロコンフィグ”と”シームレス”がオーディオのデジタルソリューションと論じました(*2)。具現化したソリューション、たとえばAirplay、ChromeCast、そしてRoonはソフトウェア・デべロッパー。いずれも”スケーラブル”なサービスプロダクトを擁するハイテク企業です。そのソリューションは物理的に音楽と音響と人とを結ぶブリッジになっています。そう、現下のオーディオとはハイテク化したデジタルオーディオを指しています。小型DAPやCDプレーヤーは”プログラマブル”なICを積み、ターンテーブルでさえも光ディスクやDACで培ったハイテク技術を転用、深化しています。
しかし斬進的に改良され”専門性”について高い評価を得ているにも関わらず、オーディオ企業は音楽と人との関係を修復するには至ってないように見えてしまいます。
観点を変えてみましょう。国内のみならずオーディオ企業の合併・統合が進んでいます。その背景にはハイテク企業によるオーディオ分野への新規参入があると言われてきました。つまりオーディオ分野でのデバイスの需要と供給のバランスが変化している。その裏付けが先述の音楽聴取手段・手法に現れていると見ることができます。そこから言えることは、入り口として、あるいは日常聴くデバイスとしてのオーディオがハイテク企業の製品になっていくトレンドです。
これを言い換えれば、オーディオの”顧客創出”がハイテク企業によりなされる現実または未来があるのではないかということです。ハイテク企業のサブスクリプションサービスをハイテク企業のオーディオデバイスで聴く。オーディオ企業は”専門性”の範囲で”既存顧客との持続的な関係性の構築”に集中する。この変化は果たしてオーディオに明るい未来をもたらすのでしょうか。スマートスピーカーからプレミアムオーディオへのブリッジは誰があるいは何が担うのでしょうか。
そこで、筆者は冒頭のオーディオショウのシーンに立ち返るのです。プロモーションにのみに注力し、そのプロモーションを誤解し、理念目的を蔑ろにする。世間ではオーディオは以前ほど性能差を感じなくなったきたと言われていますが、音質のクオリティは上がるが顧客対応のクオリティが下がるのでは、木を見て森を見ずという感がいたします。展示会での一コマでは馴れ合いではないかと論じましたが、内向き志向とも言い換えることはできないでしょうか。
その内向き志向の背景を考えれば、”専門性”を追求するあまり音楽聴取手段・手法の”多様性”やリスニングスタイルの”複雑化”の現実を軽視したり、音質追求のあまり評価を単純化し他方を排除する、”先鋭化”の傾向へ目を向かざるを得ません。もちろん追求には評価として優先付けを伴い便宜的に取捨選択はあるかもしれません。しかし物事は単純ではありません。にも関わらずand/orで成り立つものを不必要に二元論のvsで煽り立て、そこへ躊躇なく安易に存在意義の否定まで踏み込む風潮に、筆者は寛容のパラドックス(*3)を想起し、賢明な人は私利だけでなく公利の観点も必要と指摘するかもしれません。
たとえばオーディオのために音楽があるとするならば、音響を興ずるにあたり都合も心地も歯切れも良いフレーズではありますが、それは手段の目的化の正当化であり、本来の目的と手段の関係が確立しているからこそ、そう言えるに他なりません。先鋭化したソサエティの内向き志向が排除志向へとつながりセクショナリズムを形成し、さらなる先細りを招くとはどこか既視感のある話です。排除志向にあっては顧客・機会創出と相容れないもので、すなわちオーディオソサエティは”顧客創出”を担えていなかったのではないかと考えざるを得ないのです。
さて、複数回答で見えてくるものがあるように、複雑化した世界では単純化という手段はあまり馴染まず、遠近柔軟な視界を以ってより丁寧に説明することが求められてると考えます。あるいはA/Bどちらにも属さない埋もれている声を拾い上げ、多様な声に耳を傾け尊重する寛容な姿勢も求められているのでしょう。その時代の変化は既に始まっています。と同時に変わらないものもあります。音楽と人とを結びつけるために音響がある、音楽と人との架け橋がオーディオであるというプリミティブで誇らしい普遍的な道理。このことを私は信じ、大切にしたいと思っています。
- INORI
注釈
*1: プラットフォームが音楽から得る価値とクリエイターに支払われる価値との間にギャップがあること。(参照:
IFPI See 150 artists ask MEPs to solve the Value)
*2: 拙稿
コラム デジタルソリューション考・Part2 Appleとゼロコンフィグより参照。
*3:
Paradox of tolerance (寛容のパラドックス:This page was last edited on 6 June 2019, at 02:06 (UTC).)
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